【書評】ハーモニー/伊藤計劃

<この本を選んだ理由>

この本は小説だ、専門書ではない。

発売されたのは2008年。古典でもなく、芥川賞を取ったわけでもない。

それでも僕は人に「オススメの小説は?」と書かれるとこの本を反射的に薦めてしまう。

 

この本、「ハーモニー」はディストピア小説というジャンルに位置する。

代表的なディストピア小説には、ジョージ・オーウェルの「一九八四年」や「動物農場」、オルダス・ハクスリーの「すばらしき新世界」などがあるが、要するに悪い未来を書いた小説だ。ディストピア小説には書かれた当時の政治状況や社会問題が反映されることがあり、時代への問題提起をしているものも少なくない。

 

この本を紹介したい、と思う理由は2つある。

1つはこの作品が描き出す未来に想いを馳せてみてほしいから。

この作品「ハーモニー」は最も丁寧に、かつ敏感に現代を描写しているものとなっている。後ほど触れるが、何かをとことん追求するとどこかで別の何かに歪みが起きるということがクリアーに描かれてる作品だと思うし、伏線の回収の仕方、論理の展開の仕方は芸術的でさえあると思う。

2つ目は作者、伊藤計劃氏をより色んな人に知ってもらいたいから。

実はこの本「ハーモニー」は彼の2作目であり、完成したオリジナルの作品としては最後になる。彼はこの本を書き上げ、出版を見届けてから約1年4ヶ月後に亡くなっている。 

しかもこの本のテーマは「健康」なのだ。この本を書いている時も彼は闘病中だった。
そのことを思い出すたびに、いったいどんな気持ちで書いていたのだろう。どんな想いで毎日を過ごしたのだろうと考えてしまう。

 その目には日本や世界や日々のニュースがどんな風に映っていたのか僕は知りたかったし聞いてみたかったが、残念ながらそれは今では叶わない。

少しでも多くの人に伊藤計劃と彼の作品が届くことを願って、今回の記事を書きたいと思う。

 

 <伊藤計劃とは>

1974年東京都生まれ。武蔵野美術大学卒業。2007年「虐殺器官」で作家デビュー。この本は「ベストSF2007」「ゼロ年代ベストSF」第1位に輝いた。2008年に「ハーモニー」を刊行。第30回日本SF大賞のほか、「ベストSF2009」第1位、第40回星雲賞日本長編部門を受賞。

2009年没。

 

<テーマについて>

本作のあらすじは以下だ。

21世紀後半、<大惨禍>と呼ばれる混乱・戦乱を経て、人類は包括的な健康社会を創り上げた。医療分子の発達で病気がほぼ駆逐され、優しく倫理が溢れる"ユートピア"がそこにあった。そんな社会に倦んだ3人の少女はある時、餓死することを選択した。
それから13年、死ねなかった少女は世界を襲う大混乱の影にただ一人死んだはずの少女の姿を見る。

 

ディストピア小説には明確なテーマがあることが多い。「もしこうなったらどうなるか?」を基本として物語が作られているからだ。

 

その意味でディストピア小説はSF分野にかなり近い。

-もし自分が過去に記憶の上書きにあっていたら?? 

-もし超権力による社会の監視体制がある未来だったら??

何を意図しているか分かりやすいのがディストピア小説の特徴かもしれない。

 

そしてこの本のテーマは疑いなく「もし世界から病が消えたら?」である。
正確にいえば、
もし人間が病を撲滅するために細胞レベルでの健康維持テクノロジーを導入したら?
であるかもしれない。

皆さんはもしそうなったらどうなると思われるだろう?

 

食べ物から飲み物から運動習慣、仕事の内容まで全て人工知能が判断をし人は行動するだけ。その行動に則れば人は物理的に可能な限り長く生きることができる。
「ハーモニー」での"一般的な生活"はこのことを指す。そうすると人は今までかつてないほどに幸せに生きることができるというわけだ。

そんな社会をかつて拒否しようとした主人公がある事件に出くわして、健康社会を規定するシステムそのものを解き明かすことになる。
小説であるがゆえに詳細を明らかにすることは避けたいのだが、「健康」を突き詰めることによって失われるものは何なのか、本を読み進めるに従って、驚愕する瞬間が待っていると思う。

 

<あらすじ>

 -物語が始まる13年前。
<大惨禍>と言われる戦渦の後、健康なのが当たり前になった世界で、御冷ミァハ/零下堂キアン/霧慧トァンはその世界に反抗していた。特にミァハは多くの"異端なもの"を知っていた。WatchMeと呼ばれる自己体調管理ナノシステムをうまくごまかして"不健康なもの"を摂取する方法や昔のジャングルジムには意思がなかったこと、この世界で生きるのに全く必要がない知識だ。
この世界ではWatchMeに象徴されるようにモノをいかに人間に心地よく適応させるか、に重点が置かれており、ジャングルジムなどの怪我をする可能性があるものは状況に応じて、ぐにゃぐにゃ曲がったりするのだ。

そしてミァハをリーダーに彼女たちはWatchMeに気づかれないように栄養素を吸収しない錠剤を摂取して自殺を図る。
その後生き残って大人になったトァンは螺旋監察官となり健康保全の仕事に就く。螺旋監察官とは、「人の健康に関わること」ならば如何なる超法規的措置を講じてもいい、国際的権力だ。健康こそが世界の基準になるため、彼らはまさにエリートと言える。

 

仕事でミスをして、日本に戻されたトァンはある日キアンと会うことになるが、その場でキアンは自殺をする。最後の言葉は何とミァハと関わることだった。なぜ何年も前に亡くなったミァハが出てくるのか。
そして同じ日、同じ時刻に世界中で何千人もの人が自殺をしてしまう。ある人は飛び降り、ある人は手元にあるもので脳を潰したり、凄惨極まりない光景が世界中で繰り広げられる。

 

当然、MatchMeが機能する世界ではそんな事態は起こるはずはない。

 

トァンは真相解明のため、再び世界中を飛び回り、WatchMeの雛形を考案した、ある学者と会う。そこで彼女は13年前の事件の真相を知る。

その後、トァンはこの世界同時多発自殺事件の黒幕と、WatchMeを完璧に社会に実装した結末を知る。

 

<終わりに>

「ハーモニー」は切れ味が非常に鋭い小説だと思う。

この本が持つ不思議性は、社会への眼差しとしてもどこか説得力があることから来ているのではないかと思う。なぜなら人が健康になるということはみんながみんな「良いこと」として受け入れる可能性が高いからだ。

その未来はもうそこまで来ている。
バイオの進歩は日進月歩。体内に機械を入れて全てをモニタリングすることはアイディアとして実現間近だろう。
その時にこの小説通りになるかどうかは分からないが、少なくとも方針として医療やヘルスケアが進んでいることは確かだ。

 

2008年の時点でそこまで考え抜くことができたのかは分からない。
だが伊藤計劃は常に「生」「死」を作品の中に盛り込み続けた作家だと思う。デビュー作「虐殺器官」も非常によくできた戦争小説だ。

 

こんな小説もあるのか、と読む快感をぜひ味わってみてほしい。

 

 

ハーモニー (ハヤカワ文庫JA)

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虐殺器官 (ハヤカワ文庫JA)

虐殺器官 (ハヤカワ文庫JA)

 

 

 

一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)

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すばらしい新世界 (光文社古典新訳文庫)

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